2013年11月24日(日)10時〜JR西宮北出口に集合 乗用車3台に分乗し、目神山の住人・前田豊稔さんと行く、 六甲山(神呪寺から北山・目神山)の磐座巡りを開催しました。 (参加者:10名、スタッフ:5名) 【甲山大師 神呪寺】 由来によりますと、寺名の神呪寺は「かんのうじ」と読み、神呪は本来「じんしゅ」と読み、「神秘なる呪語」「真言(仏様のお言葉)」という意味であり、「じんしゅじ」の時代もあったのだそうです。後ろにある甲山を、霊山としご神体としています。 1798年に、神呪寺・甲山八十八ヶ所、完成とありますから、昔から六甲山の磐座が存在していたということです。 神呪寺のサイト http://www.ne.jp/asahi/kabutoyama/kanno-ji/
【神呪寺・甲山八十八ヶ所】 「誰でも四国巡礼を体験できるよう、寛政10年(1798)に四国八十八ヶ所の各札所の砂を持ち帰り、それらを神呪寺境内の南部に敷いて、「甲山八十八ヶ所」が建立された。」 と、神呪寺のサイトにあります。全行程は約2kmあり、巡礼は今ではアスファルトの車道に寸断され、石仏も随分と風化してきています。第1番札所には、「寛政十二年」と刻まれ、大坂籠屋町彦六によって建立された百八十八供養塔が残されているのだそうです。 多くの写真になりますので、一部だけ掲載します。 改めて写真を見ると、元々あった古代祭場の磐座を守るために、八十八カ所として地蔵を置いたのではないだろうか?と思える。 再度、一つずつを調べる必要がありそうだ。
【北山】 北山の磐は一段とすごいです。こちらも再度、しっかりと見に行く必要がありそうです。磐座なのか、単なる岩なのかの区別はなかなかつきませんが、山全体が古代祭場跡としか思えないほどです。
*左【目神山・個人宅にある磐座】 *下左【目神山・入口にある磐座】 *下右【目神山・挟み石】 今回の案内人・前田さんが、知り合いのお年寄りの大切に保存されていたアルバムから複写させて頂いた物で、今回サイトに掲載する了解を得た写真です。 そのアルバムに寄ると、大正末期から昭和のはじめにかけて撮影されたと書かれています。また、「挟み石」という呼び名では書かれていません。 「子持ち岩」と書かれていました。 説明では、 大正末期から昭和初期まで甲陽公園の名所の一つ。 現在の目神山の2番坂を登って右側の山頂附近にあったもの。 宅地造成の為取除かれ、今は手前の岩だけが残っていると聞く。 お鹿岩、蛙岩、倉掛石、坪石、重箱岩、夫婦岩とあわせ「甲陽七岩名所」といわれたものの一つである。 と書き添えられていました。